ちゃっぴーの雑記帳

香川県で細々と演劇したりダンスしたり観劇したり本を読んだり映画を見たり……日々の思いや考えを綴っていきます。

【そこは地獄か天国か】ミッドサマー

映画「ミッドサマー」を観た。

通常版もディレクターズカット版も観た。

2回も観るべき映画じゃない。

でも、もう既に3回目が観たいと思っている自分がいる。

 

謎の中毒性がある映画だ。

 

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『ミッドサマー』予告編

 

 

 

「ミッドサマー」とは

明るいことが、おそろしい

太陽と花々に満たされた祝祭の果ては、究極の恐怖と、未体験の解放感

映画を全編通して暗いシーンは殆どない。

何故なら訪れた場所が「白夜のスウェーデンだから。

数時間だけ日が落ちるが、それ以外は太陽に照らされた綺麗な木々や花々が映し出される。

普通のホラー系の映画は「暗闇が怖い」という感覚だが、

「ミッドサマー」は「明るさが怖い」のだ。

 

ストーリー

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる‘‘90年に一度の祝祭‘を訪れる。

美しい花が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が容器に歌い踊る楽園のように思えた。

しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。

妄想、トラウマ、不安、恐怖……

それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

まずもって、主人公のダニーが不憫でならない。

いきなり両親と妹が自殺。未遂じゃなくて自殺。

序盤から不幸のどん底に叩き落される。

 

そして、恋人のクリスチャンが優しくない

個人的にはダニーにも悪い所はあると思っているが、

クリスチャンも不真面目というか不器用というか。

 

もう、のっけから底の底からスタート。

 

「 監督・脚本:アリ・アスター」とは

1986年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。

アメリカン・フィルム・インスティチュートで美術修士号を取得。

2018年の長編初監督作品「ヘレディタリー/継承」がサンダンス映画祭で上演されると、批評家から絶賛され、世界中の映画誌、映画祭とのベスト作品に選出された。

 この「ミッドサマー」が評価されて、

「ヘディタリー/継承」も再評価されて、再上演が始まっている。

しかし、私の住んでいる県では上演されていない。

また、コロナウイルスの関係で県を超える事が難しい……悔しい……。

映画館で観たい映画なのに。

 

 

感想

 

決して新しくないのに「新しい」

この映画の引き合いによく出されるのがウィッカーマンだ。

 

 

まだ観たことはないが似たような設定らしい。

 

実際にストーリーとしては特に新しさは感じなかった。

「大学生がカルト宗教のコミューンに迷い込む」という設定の映画なんて、昔からよく聞く話だ。

大体のホラー映画は「地続きの異世界」との境界が曖昧になるところにある。

その曖昧になった境界線から、新しい恐怖が自分たちの日常を脅かす、というような。

 

じゃあ、何が新しいと感じるのか。

それはやはり「明るさ」「美しさ」だ。

 

設定が白夜のスウェーデンなので映像全てが明るい。

もちろん、言うても白夜なので一瞬は暗くなるのだが、それもほんの一瞬。

ホラー映画に感じる「暗闇からの恐怖」は全くない。

逆に明るすぎて恐怖が普通の顔してやってくる。

だから、それが恐怖だと全く気が付かない。

それが怖い。

 

また、映像がとにかく美しい。

木々の緑、空の青さ、白い衣装の清潔さ、

そして、咲き誇る鮮やかな色とりどりの花たち。

とにかく綺麗。

その綺麗さが設定とミスマッチで吐き気を催す。

 

 映像と音響の効果

先ほど「映像が明るく綺麗」という話をした。

「明るく綺麗」という事は、そうなんです……

 

全てが丸見えなんです。

 

こちらが目を覆いたくなるようなシーンも隠してくれない。

老人2人のシーンとか、一瞬、目を逸らしてしまいました。

優しくない。とにかく優しくない。映像は優しそうな雰囲気なのに。

 

それ以外にも

天地が反転したり、

あるシーンが逆再生したり、

食卓の肉が蠢いていいたり、

花の冠がダニーに囁いているように見えたり、

ありとあらゆる手段を使って「よくわからないけれど不快」という環境を作り出す。

 

それは音響効果も同じで、

重苦しい「ブーン」という音が延々と続いていたり、

赤子の鳴き声が聞こえたり、

ホルガの住人たちの独特の呼吸法だったり、

ありとあらゆる局面で「違和感」「不快感」を与えてくる。

 

1回目は気が付かなかったけれど、

2回目でこれらの効果に気が付いて「優しくないなぁ」と思った。

 

ホルガの人々の習慣

私がこの映画で一番面白いと思い、

尚且つディレクターズカット版が観たかった理由としては、

「少しでもホルガの人々の文化を知りたい」と思ったからだ。

 

もう、確実にジョシュと同じ運命を辿る未来しか想像できませんが……。

 

でも、やっぱり知れば知るほど興味深いんですよね、ホルガの文化や習慣って。

 

もちろん状況だけ見たら完全にカルト宗教なんですが、

「あの独特の呼吸法の意味は何だろうか?」とか、

ルーン文字を解読して意味を知りたい」とか、

「ルビ・ラダーを読みたいな」とか……思ってしまいますもの。

 

それだけあの映像に映っていた全てに意味があるし、

何ならアッテストゥパンとか理屈は「確かに」って納得したし、

多分、映画で語られてない秘密がまだまだ眠っているはずなのだ。

 

「後頭部を触れる挨拶はどういう意味なのだろうか?」とか、

「これ祭りの途中で終わってるけれど、この続きはどうなるの?」とか、

 

あぁ……考えれば考える程、ホルガが頭から離れない。

 

最後に

決して新しくないのに、何故か新しく感じてしまう不思議な映画だった。

そして、ホルガに完全に魅了されてしまう。

不快は不快なのだが、

しかし、ダニーにとっては「これでよかったのかもしれない」と思ってしまう。

 

家族が自分を残して自殺してひとりぼっち、

最後の頼みの綱だった恋人のクリスチャンとの関係は終わりが見えている、

その状態でホルガから戻ったら天涯孤独になるのはわかり切っている。

 

その孤独から救ってくれたのは、他の誰でもない「ホルガの住人」なのだ。

 

「みんな幸せでハッピーエンド」というわけではないが、

この先しばらく、ダニーはひとりぼっちにならない。

ほんの一瞬かもしれないが、ダニーは幸せなのだ。

それでいいのかもしれない。

 

しかし、ラストシーンの「生贄部屋」で

生贄に選ばれたホルガの住人に火が付いてパニックになる姿を見ると、

何とも言えない気持ちに陥る。

 

 

何処に行っても地獄は続く。

生きている限り地獄は続く。

人生は少しでもその「地獄」を感じないように誤魔化して生きるしかないのだろうか?と思ってしまう。

何処にも完璧な幸せはないのだから。