2019年2月3日(日)19時開演(18:30受付)
@高松市美術館2F展覧会場
構成・演出「やなぎみわ」のライブパフォーマンス❝MM❞を観てきました。
- やなぎみわ、とは
神戸市に生まれ、京都市立芸術大学の美術研究科の大学院を修了されています。肩書としては現代美術科になるみたいです。
私が初めてやなぎみわさんを知ったのは2012年に、同じく高松市美術館で上演された「1924 人間機械」でした。
当時、私の中にこのような演劇作品はジャンルとしてなく、初めて尽くしの体験でした。
特別に印象深かったのが、作品の最後に地下の搬入口に誘導されて、選挙カーが高松の街に向かって走ってゆくシーンでした。あの瞬間、美術館で上演されていた、閉鎖された約束された空間で繰り広げられていたモノたちが、高松の街中という現実に溶け込んでいく景色は今でも忘れられません。待ち行く人々が、こちらを見ていて「自分が作品を見ているのか、自分たちが作品となって見られているのか」わからなくなったことを覚えています。
あれを超える衝撃的な演劇には未だに出会ったことがありません。その位、インパクトのある作品でした。
それ以来、名前を忘れることができないひとりにやなぎみわさんはなりました。
- ライブパフォーマンス❝MM❞とは?
機械仕掛けの「神話」上演!
美術×機械工学×舞台美術がクロスオーバーする実験作!
(チラシを引用)
出演者は「高山のえみ」さんという俳優。
そして、その舞台を彩る神話機械たちは大学や高専で作られた摩訶不思議な機械たち。
どうも、それぞれにも名前があって面白い。
メインマシン≪タレイア≫
振動マシン≪テルプシコラー≫
のたうちマシン≪メルポメネー≫
投擲マシン≪ムネーメー≫
名前は全てギリシャ神話から取られているみたいです。
きっと意図的なものがあるとは思うのですが、そこまで読み取ることは叶いませんでした。
- 感想は
開場は3つの神話機械が配置されています。それぞれがそれぞれ、ユニークな動きと音を発しています。
そして、舞台中央奥には音楽家の内橋さんがスタンバイする。
囲いはLEDライトが仕込まれていて、光の強さや色が変化する。
髑髏が配置されていて、入場した瞬間から直ぐに世界に引き込まれそうになる。
俳優の高山さんが面白い方で、性別適合手術と豊胸手術を受けたニューハーフです。
すごく不思議な存在感を放っており、本人の美しさも加わり、この俳優も機械の一部なんじゃないか?と一瞬、思ってしまいます。台詞回しも聞き取りやすく、身体的な美しさと動きのしなやかさと、醸し出される色気と。唯一無二の俳優だと思います。
物語は難解、と言われれば難解。物語を理解しようとするのは、きっと、こういう形式のパフォーマンスは必要ないのだと思っています。
なので、感じるまま、感じたままを大切にしていこうといつもしています。
ですが、ギリシャ神話とかシェークスピアの知識があれば、もっと楽しめたような気がするので、それは自信の勉強不足を呪います。
感じたことは……。
神話や物語は存在しない、人間の空想上のモノ。だけど、それを髑髏に憑依させていき、それを砕くことによって「存在しないモノ」を「存在するモノ」に変化させていっているように感じた。そして、そのモノを機会に憑依させていく作業に見える。
人間と神話と機械の境界線が段々と曖昧になる。
神が人間を作り、人間が機械をつくる。
そして、機械が神となり人間をつくる。
そんな未来が想像される。
でも、全編通して緊張するシーンだけではなく、時々、一息つけるようなシーンもあったり。ライブパフォーマンスやインスタレーションってずーっと緊張して集中して見るものが多い中で、このようなものは新鮮でした。
まだ「やなぎみわ展 神話機械」の展示を見ていないので、まだわからないことばかりです。
3月24日まで展示は行っているので、どこかで行って、もう一度、このパフォーマンスを振り返ってみたいと思います。