ちゃっぴーの雑記帳

香川県で細々と演劇したりダンスしたり観劇したり本を読んだり映画を見たり……日々の思いや考えを綴っていきます。

【原発について老人は何を考える?】中村敦夫 朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」

2020年2月24日(月・祝日)14時~

香川県社会福祉総合センター

朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技術者のモノローグ」

出演:中村敦夫

 

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色んな舞台作品を観に行ったことはあるが「朗読劇」というものにはあまり触れてこなかった。

今回はテーマも気になるし、愛媛県から香川県に回ってくるという事で、折角の機会なので行ってみる事にした。

 

 

 

 

中村敦夫」とは

 

1945(昭和15)年2月18日生まれ

俳優・作家・日本ペンクラブ理事・環境委員・元参議院議員

新聞記者の長男として東京で生まれる。幼少期に東京空襲があり、父の出身地である福島県疎開。そこで小中学校を過ごし、高校は東京に戻り、都立新宿高校を卒業、東京外国語大学に入学。在学中、演劇に興味を持ち、大学を中退、劇団俳優座に入る。

1972年放映の「木枯し紋次郎」が空前のブームとなり、数多くのドラマで主演をつとめる。俳優業だけでなく、脚本や演出でも活動。海外取材を基に書いた小説「チェンマイの首」がベストセラーとなる。

2007年から3年間、同志社大学院・総合政策科学研究科で講師を勤め、環境社会学を講義。現在は日本ペンクラブ理事、環境委員を務める。

2012年に日本ペンクラブチェルノブイリ視察団に参加。

2017年に朗読劇「線量計が鳴る」が完成。自演で全国公演開始。

 

私は勉強不足で存じ上げなかったのですが、会場には中村さんと同年代だろう、という方も多くいらっしゃいました。

彼ら・彼女たちは中村さんの活躍を見て・育った人たちなのかもしれない、と想像する。

演劇もできて、本も書けて、研究もできて、政治もできて……もの凄く幅広い。

 

 

線量計が鳴る」とは

 

中村敦夫のライフワーク。

朗読劇「線量計が鳴る」の全国上演が始動しています。

 

原発の町で生まれ育ち、原発で働き、原発事故ですべてを奪われた。

これは天命か、それとも陰謀か?老人は、謎解きの旅に出る。

 

2017年に中村氏が書いた本……というか、戯曲なのかな?

幼少期から原発と共に生きてきた老人のお話です。

表紙絵が不安定な橋を歩いている人間の絵で、原発の不安定さを示唆しているのだろうな。

 

観劇のきっかけ

 

昨年の夏、芝居の下敷きにするために原発について調べていた。

自分なりに資料集めて、調べて調べて調べて……としていたら、自分で答えが出なくなった。

丁度、同時期に「劇団DULL-COLORED POP」が大阪で「福島三部作」を上演していた。 

それを観劇して、また自分なりに試行錯誤しながら脚本と向かい合っていた。

結局、出た答えとしては「地球に取ったら原発は不必要だろう」という、何ともフワッとした考えだった。

まぁ、その後はあまり積極的に調べる事はなかったが、心の片隅に引っ掛かりが残り続けていた。

その引っ掛かりが、今回の公演を見に行くきっかけとなっている。

 

感想

 

舞台上手に譜面台とスタンディングのライト。

物語の進行に合わせて、スクリーンには用語の説明等が映し出される。

無駄を最小限まで絞った、とてもシンプルな舞台。

 

暗転する。線量計の音が鳴る。

その音に少しドキッとする。

下手から線量計を持った老人が歩き回って舞台にやって来る。

あぁ、物語が始まったのだなと理解する。

 

話の内容は ひとりの老人の一生を辿りながら原発は必要か否か」という問いが続く。

老人の言葉の中には、中村氏が実際に経験したであろう言葉も交じっている。

この言葉はフィクションなのか?ノンフィクションなのか?

段々と現実と物語の境界線が曖昧になってくる感覚。

 

原発が誘致された経緯、

原発の構造、

東日本大震災の時にどうして福島原発メルトダウンしたのか、

現在のチェルノブイリはどうなっているのか、

原発に絡んでいる利権、

 

話は多岐に渡る。

 

多岐に渡り過ぎて、かなり付いて行くのが大変。

少し勉強をしてたとはいえ、やっぱり全てを把握しているわけではないので、わからない言葉もたくさん出てくる。

しかし、中村氏の語りが巧みだし、スクリーンの映像で補足してくれるので、完全に突き放されることはなかった。

合間合間に息抜きのタイミングがあるのは流石だ。

たぶん、講演として聞いていると眠たくなって聞いていられないような複雑な話だった。

 

観劇を終えて

 

この公演の主催は脱原発アクションin香川」だし、中村氏の考えもありどうしても脱原発の内容が中心となる。

まぁ、それはもう仕方がないし、最初から覚悟して行っていた。

でも、原発に対して批判的な内容を話した時に拍手が入ったりするのは、やっぱり冷める。正直、冷める。

脱原発」「反原発」を「物語」としてどう展開していくかに興味があったので、その点に関しては「うーん……」と考えてしまう。

 

だが、まぁまぁ、それは覚悟の上だったので、仕方ないっちゃ仕方がない。

参加者の方々も、普段から熱心に活動されている方ばかりであっただろうし、そもそも、その方々が主催してくれなければ、この公演はなかったのだ。

そこに文句を言うのは、お門違いなのだ。私はその恩恵を享受している側の人間なのだ。

 

個人的には脱原発に対して「賛成」とも「反対」とも言えない。何とも中途半端な立ち位置を取っている。

時代の流れ的にも「反対」と乗っかってもいいのだろうが、それはあまりにも主体性がなさすぎる。

 

で、まぁ、個人的に調べたりして思う事は……。

 

「核のゴミ」と呼ばれる「放射性廃棄物」の処理問題を解決できない限りは稼働すべきではない、と考える。

高レベルの放射線レベルが減退するまでには、人間の寿命よりも長い時間がかかってしまう。

じゃあ、それを恒久的に管理ができるのだろうか?という疑問。

そして、その放射線廃棄物も増え続ける。それを今ある再処理工場だけで賄えるものなのだろうか?とも思う。

 

フィンランドには「オンカロ」という放射性廃棄物の最終処分施設が存在する。

その施設は地下深くに放射性廃棄物を埋めて、恒久的に管理する施設。

 

でも、それって地震の多い日本では実現不可能らしい。

私の知る限りでは、まだ現実的な解決方法は発見されていない。

 

私個人としては「金の流れが」とか「利権が」とかは全く興味がない。

まぁ、税金を使われているので思う事はあるが、もう追及しても仕方がない。

それよりも「この先、どのような決断をしていくか」というのが重要なのではないかな?と思う。

 

中村さんが精力的に「自分で書いて・演じる」公演。

その熱量に触れる事が出来て、考えるきっかけを与えてくれる時間だった。